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浦和地方裁判所 昭和57年(ワ)15号 判決

原告

池田義明

右訴訟代理人弁護士

堀野紀

安江祐

被告

草加市

右代表者市長

今井宏

右訴訟代理人弁護士

加藤長昭

主文

被告は、原告に対し、金七一八万〇三三九円及びこれに対する昭和五四年六月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その三を被告の、その一を原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年六月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  請求の原因

一  事故の発生

昭和五四年六月二三日当時、県道草加・鶴ケ曽根線(以下「本件県道」という。)は、別紙図面一記載のとおり、草加市稲荷町四二〇番地高橋宅先付近において、南方向から北方向へ弧を描きつつカーブしている約一〇〇メートルの部分(以下、この部分を「本件県道部分」という。)に東西端を接して、被告施行にかかる稲荷町区画整理事業の一環として直線の弦状に区画街路一一号線(以下単に「本件街路」と略称する。)が建設されつつあつたところ、原告は昭和五四年六月二三日午前六時四〇分ころ、自動二輪車(ホンダCB四〇〇T、三九〇CC)を運転して本件県道を草加市方面から八潮市方面に向かう途中、本件県道部分から本件街路に進入して同所を時速約四〇キロメートルの速度で進行中、本件街路の中途、前記高橋宅前付近に進行方向右側端近くから街路中央部を越えるあたりまで約三メートルにわたつて、高さ約1.2メートルに張られていたロープ(以下「本件ロープ」という。)に前頸部をひつかけて転倒し、気管裂創の傷害を受けた。

二  責任原因

1  事故現場を中心とする本件街路とその通行制限措置の状況

(一) 区画街路一一号線の事故現場付近は、被告の施行にかかる稲荷町土地区画整理事業の一環として、本件県道の南方へ湾曲した本件県道部分を直線で結ぶようにするための付替道路として建設されていたものである(「本件街路」と表示するのは当時建設中であつた右の部分を指称するものである。)が、本件事故当時はいまだ道路法による路線認定、変更の措置はとられておらず、したがつて、土地区画整理事業の主体である被告の管理下にあつた。

(二) 本件街路は、本件事故当時、未舗装ではあつたが、砂利敷も昭和五三年二月九日完了し、既に車両の通行が可能な程度に達し、道路の形状を備えていた。しかも、本件街路は、同じく前記区画整理事業の一環として建設中の区画街路七八号線及び同八〇号線とT字路として交差していたところ、区画街路七八号線とのT字路交差点付近から同八〇号線とのT字路交差点付近までの砂利道部分(別紙図面一の赤線で囲んだ部分、以下「第一部分」という。)は、正式に供用開始される前から事実上道路として使用され、被告もそれを認めていた。

(三) 本件街路の本件県道からの進入口両端部は、自由に車両が入れる状態となつており、同所付近の県道沿には何らの標識・標示も設置されていなかつた。

(四) このため、自動二輪車や自転車、歩行者などは、車両通行量が多く危険な本件県道部分の通行を避けて、距離的にも短い本件街路を通行しており、これを禁ずる措置は何らとられていなかつた。

(五) しかるに、本件街路の中途には、四本の柱(木杭)、二本の黄色と黒の段々縞の古びたロープ及び四個の工事用防護柵によるバリケード(以下「本件障害物」という。)が設置されていた。その位置関係は、別紙図面一のとおりであり、四本の柱には上下二段にロープが張つてあつた。原告が通過しようとした同図面の第一の柱と第二の柱の間におけるロープの高さは、上段は地上約1.2メートル、下段は地上約0.8メートルであり、この中間を通過する場合、上段は自動二輪車に乗つた人間のほぼ胸の高さ、下段は車輪の高さに相当した。本件事故当時、第一の柱と第二の柱との間には工事用防護柵は置かれておらず、その手前からは向こう側の砂利道が何らの障害もなく望める状況にあつた。

(六) しかし、本件障害物の北方高橋宅側は自動車が通行することがあり、その際車両が接触するなどして工事用防護柵が再三にわたり倒されたり、移動されたりしたことがあり、被告は、このような状態を黙認していた。

(七) なお、本件県道を草加市方面から八潮市方面へ向かつて進行する車両からみると、広い幅員の舗装道路がいきなり前方で途絶えて砂利道となり、通常は本件県道部分が舗装道路であるから、併走している本件街路を左にして幅員の狭い本件県道部分を進行するけれども、本件街路もいつでもどこででも進入することのできる状態にあつたため、とつさの場合や本件県道部分を進行する他の車両の状況いかんによつては本件街路を通る車両もあつた。

2  本件街路の瑕疵

(一) 本件街路が通常有すべき安全性の程度

本件街路は、前記1のとおり少なくとも一部が現に道路として利用されていたのであるから、これが「通常有すべき安全性」の程度は道路と同様の基準で考えるべきである。

(二) 本件街路の瑕疵

前記1のような本件障害物及び周囲の状況に照らすと、本件街路には、本件事故と相当因果関係のある次のような瑕疵があつた。

(1) 適切な標識の欠如

被告は、本件街路に進入して区画街路八〇号線を左折する車両等のため、本件街路のうち別紙図面一の赤線で囲んだ部分(「第一部分」)の通行を禁じていなかつたが、それ以外の目的、すなわち、弧状をなす本件県道部分を回避して弦状に位置する本件街路を直進して別紙図面一の青線で囲んだ部分(以下「第二部分」という。)を通過しようとする車両の通行は禁ずる趣旨で本件障害物を設置していた。そうであるならば、進入車両等の本件障害物との衝突の危険性に鑑みると、前記進入口付近には、第二部分の自転車及び人以外の通行を禁じ、直進車は本件県道部分を進行しなければならないことを示す注意標識、誘導標識を本件県道からの進入口又はその手前の左側路肩付近に、運転者に明認することができるように設置すべきであつたのに、これを設置していなかつた瑕疵がある。

(2) 本件障害物設置の位置・方向の危険性

本件県道部分から、とつさに左転把して本件街路に進入した車両の運転者は、いきなり進行方向直前に、真横に広がる本件障害物を発見することになるから、急制動の措置をとつても、空走距離、制動距離を考慮すると、これに衝突したり、更に、自動二輪車では横転したりする危険がある。したがつて、設置場所を更に若干草加市方面からの進入口から離すか、又は、回避動作をスムーズにとることのできるよう進路に対して斜めに設置すれば安全性を確保することができたのに、本件のように進入口に近く、かつ、進路に対して真横に設置された本件障害物は危険性が高く、瑕疵がある。

(三) 本件障害物の形態の危険性

本件障害物の形態は、前記1(五)のとおり、工事用防護柵を配置し、その列に沿つて柱(木杭)を立て、それにかなり使い古した黄色と黒の段々縞の二本のロープを張つたものであるが、原告が突入した別紙図面一の第一の柱と第二の柱の間には、工事用防護柵がなく、その間は杭に張られたロープだけの空間が空いていたから、視覚心理としては、工事用防護柵ばかりが障害物として際立ち、視認性のすぐれた工事用防護柵のある部分との対比において、ロープ部分には気付きにくくなる結果、運転者がとつさの判断で工事用防護柵のある部分を避け、ロープが張つてあるだけの部分を安全な箇所と錯覚してそこへ飛び込む危険性が高かつた。右工事用防護柵を一般的に行われているように、上部に相応の長さの鉄パイプを固定し、相互に連結して工事用防護柵のない空間を空けないようにすれば、容易に右のような錯覚が生じないようにできたのであるから、本件障害物の形態には瑕疵があつた。

(四) 本件障害物管理の瑕疵

前記のように本件障害物を構成していた工事用防護柵は再三にわたつて倒されたり、移動されたりしており、被告の職員は右事実に気付いていたのであるから、被告は、このような事態が繰り返されていることを知つた時点において工事用防護柵を前記(3)のように固定、連結するなどして通行の安全を確保すべきであつたのにこれを怠つた。右は、本件障害物の管理の瑕疵というべきである。

三  損害の発生

1  原告の受傷内容、程度と治療の経過

原告は、昭和五四年六月二三日、本件事故により気管裂創の傷害を受け、事故後直ちに埼玉県八潮市内広瀬病院に搬送され、気管切開により気道の確保を受けた後、順天堂大学附属順天堂医院耳鼻咽喉科へ転送された。

同医院には、同日から同年一二月二九日までの間、第一回目の入院をし、この間、本件事故によつて生じた甲状軟骨下端、輪状軟骨、第一ないし第三気管軟骨の欠損に対処するため、同年六月、喉頭形成及び食道前壁の分層植皮術が施行され、その後同年九月から、同医院形成外科において気管前壁部を完全閉鎖する手術が行われた。右手術は、両耳介軟骨を採取し、これを一旦左胸部皮弁下に移植し、その後、移植した軟骨を含む左胸部皮弁を気管前壁に移植して閉鎖するという困難かつ大がかりなものであるが、同年一二月に至つて気管前壁部完全閉鎖に一応成功して退院した。

その後は、通院により経過観察を受け、徐々に日常生活に復帰していつたが、移植した軟骨の周囲に余分な肉が盛り上がつて気道を狭め、昭和五五年秋ころから気管狭窄症状が現われ、呼吸困難を覚えるようになつた。そこで、再び気管前壁部再建をするため、昭和五六年三月五日、同医院に第二回目の入院をし、気管後壁部の狭窄部拡大術(Z形成術)の施行を経て、鼻中隔軟骨移植及び局所皮弁移植による気管前壁再建術が施行され、前頸部(局所皮弁採取部)への分層移植術を受けて、同年六月六日に退院した。

その後、再び通院による経過観察に移行したが、同年八月下旬、前頸部皮下気腫が生じ、発熱をみ、同時に気管狭窄症状も出現したため、同月二六日、同医院に第三回目の入院をした。そして、皮下気腫で浮き上がつた再建部を一旦除却し、後壁の狭窄部拡大術を行い、右肋軟骨を採取して右胸部皮弁下に移植し、前記狭窄部には口腔から粘膜を移植し、次いで、前記移植肋軟骨を含む右胸部皮弁を気管前壁に移植して閉鎖し、皮弁採取部に分層植皮術を施すという大がかりな手術を受けた。その後も、幾度か手術部に皮下気腫が生じ症状の停滞が続いたが、その後症状が一応安定したため、昭和五七年二月二七日退院した。

2  原告の後遺障害の程度と症状固定時期

原告は、退院後も小皮下気腫の発生や感冒時の気管狭窄症状に悩まされ、今後、一層危険な再手術を要する状態に陥るおそれがある。したがつて、原告の症状が固定したというには躊躇を感ずるものの、あえて症状固定時期を定めるとすれば、原告が就労を開始した昭和五七年五月と考えるべきである。

原告の後遺障害の程度は、頸部外傷後遺症のため、両声帯動き不良、呼吸障害、最大換気量の低下により第一一級(自動車損害賠償保障法施行令別表の等級・以下同)、耳介の変形により第一二級である。第一三級以上の障害が二以上ある場合であるから重い方の等級を一級繰り上げ、原告の後遺障害は第一〇級に相当するものというべきである。

3  原告の退院後の就労状況と収入及び労働能力の喪失

(一) 原告は、昭和五七年五月から昭和五八年一二月までの間、昭和ワニス株式会社に勤務し、事務員として主として書面作成の業務に従事した。この間の収入は次のとおりである。

(1) 昭和五七年五月から同年一二月まで

給与支給額 金一〇三万五〇二〇円

賞与支給額 金一九万八〇〇〇円

右合計 金一二三万三〇二〇円

(2) 昭和五八年一月から同年一二月まで

給与支給額 金一六五万五七三四円

賞与支給額 金二九万四一〇〇円

右合計 金一九四万九八三四円

(二) 原告は、昭和五九年四月以降、株式会社日産鋲螺に勤務し、次のような収入を得ている。

(1) 昭和五九年四月から同年一二月まで

給与支給額 金一四八万〇〇〇〇円

賞与支給額 金二二万五〇〇〇円

右合計 金一七〇万五〇〇〇円

(2) 昭和六〇年一月から同年一二月まで

給与支給額 金二一四万三〇〇〇円

賞与支給額 金五〇万五〇〇〇円

右合計 金二六四万八〇〇〇円

(3) 昭和六一年一月から同年五月まで

給与支給額 金九六万一〇〇〇円

賞与支給額  なし

右合計 金九六万一〇〇〇円

(三) 原告の現実的収入は、右(一)、(二)のとおりであるが、受傷後就労し一定の収入を得ている場合においても、逸失利益の算定については、賃金センサスの数値を用い労働能力喪失率をこれに乗じて算定すべきである。原告の後遺障害の程度は前記のとおり第一〇級に相当するものであるから、その労働能力喪失率は二七パーセントである。

4  損害額

合計金四一四七万五七六九円

(一) 治療費

金六九六万〇二四五円

(二) 休業損害

金一五一万二五一〇円

(三) 差額ベット料

金二八四万一七〇〇円

(四) 入院保証金

金一三万〇〇〇〇円

(五) 胸パット代

金二万〇〇〇〇円

(六) 逸失利益

金一七七九万四〇六九円

原告の症状固定時である昭和五七年度の賃金センサスによる同年度の男子労働者(旧中・新高卒)の平均年収は金三六六万五二〇〇円であるから、これに前記労働能力喪失率0.27及び昭和五七年三月以降原告が満六七歳に達するまで就労可能として四七年間のライプニッツ係数17.9810を各乗すると原告の逸失利益は金一七七九万四〇六九円となる。

(七) 受傷・卒業延期・入院手術等による精神的苦痛に対する慰謝料

金四〇〇万〇〇〇〇円

原告は、埼玉県立八潮高等学校に三年生として在学し、新聞販売店でアルバイトとして稼働中、本件事故に遭遇したものであるが、本件事故による受傷のため、右高等学校卒業が一年遅れてしまつた。前記のような受傷の程度、治療経過等を併せ考慮すれば、これらによつて原告の被つた精神的苦痛は甚大である、これを慰謝するには金四〇〇万円が相当である。

(八) 後遺障害慰謝料

金一五〇〇万〇〇〇〇円

原告の後遺障害の程度、将来の生命への危険等を考慮すると、後遺障害による精神的損害は金一五〇〇万円を下らない。

(九) 弁護士費用

金一六九万〇〇〇〇円

原告は、本訴の提起及び訴訟の追行を原告代理人に委任し、着手金として金八四万五〇〇〇円、成功報酬として同額の合計金一六九万円の支払をすることを約した。

原告は、労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)法による療養補償給付として(一)と同額、休業補償給付として(二)と同額の各給付を受けた(労災給付としては、他に休業特別支給金として金五〇万四一七〇円の給付を受けた。)ので、以上の(三)ないし(九)の損害額合計金四一四七万五七六九円が原告において請求しうべき損害である。

四  結論

よつて、原告は、被告に対し、国家賠償法二条に基づく損害賠償として、右損害額の内金一〇〇〇万円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和五四年六月二三日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三  請求の原因に対する認否及び被告の反論

一  請求原因一について

本件街路が、昭和五四年六月二三日当時、原告主張のように被告施行にかかる稲荷町区画整理事業の一環として建設されつつあつたこと、本件街路の中途にロープ(本件ロープ)が張られていたこと、原告が右ロープを含めて構成されていた障害物に衝突したことは認めるが、右ロープが原告の進行方向右側端近くから街路の中央部の越えるあたりまで約三メートルにわたつて張られていたとの点は否認し、その余の事実は知らない。

二1  請求原因二1について

(一) 同(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実のうち、本件街路が昭和五四年六月二三日当時未舗装で砂利敷の状態にあつたこと、区画街路七八号線及び同八〇号線が前記区画整理事業の一環として建設中であり、これらが本件街路とT字路として交差していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

区画街路七八号線、同八〇号線は、当時、いまだ道路として供用開始されておらず、そのアスファルト舗装工事が完了したのは、区画街路七八号線が昭和五四年三月二六日、同八〇号線が昭和五五年一二月二七日である。また、本件街路のアスファルト舗装工事が完了し、被告から埼玉県に対する引渡しが行われたのは昭和五五年一〇月四日である。

(三) 同(三)の事実のうち、本件街路の本件県道からの進入口両端部及びその付近の県道沿に進入禁止等の標識・標示が設置されていなかつたことは認めるが、その余は否認する。

本件県道と本件街路との境界には電柱が残存していたことなどから、本件街路が道路として供用されていないことは一見して明らかであつた。

(四) 同(四)について

被告が自転車及び歩行者の通行を禁ずる措置をとつていなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五) 同(五)について

本件街路の中途に、柱・ロープ・工事用防護柵等によるバリケードが設置してあつたこと、右の柱のうち、最北端の柱とその次の柱の間に上下二段にロープが張つてあり、ロープの高さが、上段は地上約1.2メートル、下段は地上約0.8メートルであつたことは認めるが、その余の事実は否認する。右バリケードに用いられていた工事用防護柵の数は五個であつた。

(六) 同(六)の事実は否認する。

(七) 同(七)の事実は否認する。

2  請求原因二2について

(一) 同(一)の主張は争う。

本件街路は、建設中の供用開始前の道路予定地にすぎない。仮に、これが営造物として通常有すべき安全性を備えるべきものであるとしても、その安全性の程度は、その営造物としての目的、更に時と場所によつて基準を異にすべきものである。本件においては、舗装された本件県道部分と砂利敷のままの本件街路とは一見明瞭に区別することができ、その境界線上には電柱も残存し、更に、本件街路の中途には工事用防護柵も設置してあつたから、本件街路が建設中の道路にすぎないことは明白である。したがつて、本件街路についてその有すべき安全性の程度を考える場合、右の点を重視すべきであり、本件街路の有すべき安全性は、建設中の道路であることを承知の上で注意深く進入してくる者に対する配慮のみを施せば、十分満たされるものというべく、前方注視義務を怠つて進入する者に対する安全措置までは要求されないものというべきである。

(二)(1) 同(二)(1)のうち、被告が、原告主張のような標識を設置していなかつたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

そもそも、建設中の供用開始前の道路予定地であることを認識して進入してくる運転者にとつては、前方を見れば、本件障害物の存在によつて通り抜けが禁じられていることは十分に認識できるはずである。したがつて、通り抜けを禁ずる趣旨の標識として本件障害物は十分なものということができる。

仮に、右の点に瑕疵があるとしても、原告主張のような標識は、本件県道を草加市方面から八潮市方面に向かつて、時速四〇キロメートル程度の通常の走行速度で進行してきた車両が本件街路に進入しようとする際に問題となりうるにすぎず、低速度で進行する運転者には、本件障害物の存在自体によつて通行禁止の趣旨は十分看取できるから、無関係の議論であるというべきところ、原告は、進路変更して本件街路に進入するに際して、一旦、時速二〇キロメートル程度に減速したのであるから、原告主張のような標識の欠如は、本件事故との相当因果関係を有しえない。

(2) 同(二)(2)の事実は否認し、主張は争う。

前記のような本件街路の性質に照らし、前方注視を怠る者に対する安全措置まで施す必要はないものというべきところ、本件街路に進入しようとする車両運転者にとつて、前を見ていさえすれば、本件障害物の存在によりそこを通行しえないことが明らかに分かるはずであるから、本件障害物の位置・方向に瑕疵があるとはいえない。

(3) 同(二)(3)の事実のうち、本件障害物が柱・ロープ・工事用防護柵によつて作られていたことは認めるが、その余は否認し、主張は争う。

(4) 同(二)(4)の事実は否認し、主張は争う。

(5) なお、仮に原告主張の点が営造物としての瑕疵であるとしても、これらは本件事故との相当因果関係を欠くものである。すなわち、原告は、帰路を急ぐ余り、先行車両が対向車とのすれ違いのため制動措置をとつたことにいらだつて、本件街路が建設中の道路予定地にすぎないことを知りながら、前方の状況を視認することもせずにこれに進入し、制動困難な砂利道であるにもかかわらず、速度を時速二〇キロメートルから時速四〇キロメートルにまで加速し、眼下の路面の状況に気をとられる余り、進路前方の安全の確認を怠つたままで進行し、本件障害物の前方一一メートルに至つて同乗者に注意されて漸く本件障害物に気付いたが、時既に遅く、本件障害物に衝突するに至つたものである。このような重大な過失を次々と重ねた結果惹起されたのが本件事故であつて、それは専ら原告自身の過失に基づくもので原告主張の本件障害物の瑕疵なる点とは相当因果関係を有しない。

三  請求原因三について

同4のうち労災保険による給付額は認めるが、同3のうち原告に何がしかの労働能力の喪失があるとの点及び同4のうち(六)の事実は否認し、その余の事実はすべて知らない。

なお、原告が受領した労災保険給付額は、過失相殺後の損害額から控除されるべきである。

第四  抗弁

一  過失相殺

仮に被告に本件事故に関する責任があるとしても、原告には前記(第三、二2(二)(5))のような重大な過失があるから、相当額の過失相殺がなされるべきである。

二  消滅時効

1  原告主張の差額ベッド料(第二、三4(三))のうち、第一回入院分にあたる金一六四万一七〇〇円は、昭和五四年一二月二九日までに支払われたものであるから、本件損害賠償請求権のうち右の部分は、遅くとも右同日から三年を経過した昭和五七年一二月二九日の経過により時効消滅した。

2  被告は、本訴において右時効を援用する。

第五  抗弁に対する認否

一  抗弁一の事実及び主張は争う。

二  抗弁二1のうち、被告主張の差額ベッド料の支払時期は認めるが、その余の主張は争う。

第六  再抗弁

(消滅時効の中断)

抗弁2の第一回入院分の差額ベッド料は、本訴提起時においては訴訟物となつていなかつたが、原告は、訴状において、差額ベッド料の支出があることを主張しており、これは少なくとも「裁判上の催告」として本訴係属中、時効中断効を維持するものというべきである。

第七  再抗弁に対する認否

訴状中に原告主張の記載があることは認めるが、その余の主張は争う。

第八  証拠〈省略〉

理由

一事故の状況

1  昭和五四年六月二三日当時、県道草加・鶴ケ曽根線(「本件県道」)は、草加市稲荷町四二〇番地高橋宅先付近において南方向から北方向へ弧を描きつつカーブしている部分約一〇〇メートル(本件県道部分)に東西端を接して、被告施行にかかる稲荷町区画整理事業の一環としてこれを直線で結ぶようにするための付替道路として弦状に、区画街路一一号線(本件街路)が建設されつつあつたこと、当時、本件街路は未舗装で砂利敷の状態にあり、いまだ道路法による路線認定、変更の措置はとられておらず、土地区画整理事業の主体である被告の管理下にあつたこと、本件街路の中途に、柱、ロープ、工事用防護柵等によるバリケード(本件障害物)が設置してあつたこと、右の柱に上下二段にロープが張つてあり、ロープの高さが、上段は地上約1.2メートル、下段は地上約0.8メートルであつたこと、原告が本件障害物に衝突したことは当事者間に争いがない。

2  本件事故現場の状況

(一)  本件街路と付近の状況

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

本件県道は、従来、草加市方面から八潮市方面に向かつた場合、県道八潮・越谷線と交差した後、暫くは幅員が約八メートルあるが、直進して本件県道部分に差し掛かると、幅員が約五メートルと狭隘になり、かつ、向かつて右方からやがて左方へ弧を描きつつカーブしていた。そして、その幅員は、右の左方へのカーブの部分においては四メートル程しかなかつた。このため、稲荷町土地区画整理事業の一環として本件県道部分をほぼ直線に付け替えるとともに、約一三〇メートルにわたつて幅員を約七メートルとする目的で本件街路が建設中であつた。本件街路の右建設工事は、昭和五二年一一月二一日に開始され、昭和五三年二月九日には砂利敷を完了していたが、本件事故当時いまだ舗装されておらず、砂利敷の状態にあつた。本件街路には、前記区画整理事業の一環として区画街路七八号線、同八〇号線がT字型に交差しており、同七八号線は、昭和五四年三月二六日に既に舗装工事が完了し、本件事故前に既に供用開始されており、また、同八〇号線は本件事故当時砂利道として工事がほぼ完了していた。本件街路の幅員は、区画街路八〇号線とのT字路交差点付近において約7.8メートル、その西方において約5.5メートル、その東方において約6.8メートルであつた。本件街路と右八〇号線のT字路交差点付近に本件障害物があつた。以上の状況及び相互の位置関係は別紙図面二のとおりである。本件県道部分と本件街路の間には段差はなく、ほぼ平面で接しており、相互間には同図面記載の位置に電柱があるが、区画街路七八号線とのT字路交差点から同八〇号線とのT字路交差点までの間をみると、他に何らの障害物もなく、相互に進入可能な状態にあつた。

(二)  本件障害物の状況

前記争いのない事実に〈証拠〉を総合すると次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

本件障害物は、柱(古材)、黄色と黒の段々縞のロープ、工事用防護柵(高さ約0.8メートル、幅約1.2メートル)及び土のうで構成されており、その形状及び位置関係は別紙図面三のようなものであつたと認めることができる。

右につき、柱の数及び位置、工事用防護柵の数及び位置等争いのある主要な点についての判断の理由は次のとおりである。

(1) 柱の数及び位置について

昭和五四年七月七日当時の本件現場の状況の写真である前掲乙第一号証及び証人新倉勝利の証言(第一回)によれば、本件事故の一四日後である昭和五四年七月七日に被告草加市建設部稲荷町土地区画整理事務所工務係長であつた新倉勝利が戸辺同事務所長らとともに、現地に赴き、現地の状況を見分して写真(乙第一号証)を撮影したこと、その際、新倉が南北方向に並んだ柱が四本あつたとして、別紙図面三の第二の柱の北方に一本(以下「柱A」という。)、更に北方にもう一本の柱(以下「柱B」という。)があつた位置を指示し、柱Aと柱Bの中央部に被告の職員を立たせ、両腕を開げさせて写真を撮影したこと(乙第一号証の(2)の写真である。以下これを「第一の写真」という。)、その後、右の写真上に前記戸辺所長が柱の立つていた位置として黒い太線を記入したこと(乙第一号証の(2)の写真のほか(3)、(4)の写真、右(4)の写真を以下「第二の写真」という。)が認められる。

ところで、右「第一の写真」においては、柱Bが本件街路の北側端(側溝部分)の延長線上にほぼ位置していたように示されていて、これは、前掲乙第二号証及び証人新倉勝利の証言(第二回)によつて認められる本件障害物を構成する最北端の柱の位置は本件街路の北側端の延長線から約二メートル南方にあつた事実に矛盾し、また、「第一の写真」上、柱Aの位置は、当裁判所が認定した別紙図面三の第一の柱とほぼ同じ地点といえるが、「第二の写真」上では、柱A(第一の柱に相当する。)と第二の柱との間隔が、工事用防護柵の幅と同程度であつたように示されており、前記認定の工事用防護柵の幅(約1.2メートル)から考えると、柱Aの位置は第一の柱よりかなり南側であつたかのように表示されていて、これら乙第一号証の写真相互間に矛盾があるばかりでなく、右見分及び写真撮影時における各位置の確定の手段、方法についても、現場に存在した明瞭な痕跡に基づくなどの確たる根拠があつてのものとは認め難く(現場の痕跡に基づいて確定した旨の証人新倉勝利の証言((第二回))は、同証言((第一回))に照らしにわかに措信しえない。)、更に、証人新倉勝利の証言(第一回)により前記戸辺所長が本件現場の状況を図示するために作成したものと認められる前掲乙第二号証には、「杭」として表示されている柱の数は合計四本であつて、その最北端の「杭」とその南側の「杭」の間に原告が突入したこと及び最北端の「杭」と本件街路の北側端の延長線との距離が約二メートルであることがそれぞれ示されているのとも矛盾している。

してみれば、乙第一号証や証人新倉勝利の証言(第一、二回)に基づいて、本件障害物を構成する柱の数が五本であつたと認めることはできない。

そこで考えるに、本件事故(その発生時刻は後記認定のとおり昭和五四年六月二三日午前六時四〇分ころである。)に極めて接着した時期に撮影された写真である前掲甲第一号証の四添付の各写真は、本件事故当時の現場の状況の再現を試みる場合、証拠としての客観性及び時間的接着性並びにその撮影の事情からして最も基本的な資料となすべきものといえる。本件事故と右写真の撮影時期との間には約五〇分ないし約一時間の間隔があるが、この間に本件障害物の形状、これを構成する物の位置関係が変更ないし移動させられたことを窺わせる特段の事情がなく、かつ、他の形状・位置関係を積極的に認めるに足りる証拠がない限り、右撮影当時、本件事故直後の状態がそのまま保たれていたものと推認するのが相当であり、本件においては、右特段の事情は、全証拠を精査してもこれを見出すことができず、またこれと別異の形状・位置関係を認めるに足りる証拠もない。こうして、関係証拠を検討すると、柱の数は四本であり、かつ、別紙図面三のような位置に立てられていたものと認めるのが相当である。

すなわち、前掲甲第一号証の一一(高橋武雄の司法警察員に対する供述調書)によれば、二、三本「木製の杭」が立てられてあり、それにロープが張つてあり、同人が事故状況を初めて見たとき、「片方の杭」が折れて倒れていたものと認められるところ、前掲甲第一号証の四によれば、同号証添付の写真上にかなり広範に本件街路の本件障害物付近の状況が撮影されており、右撮影当時の付近の状況が別紙図面四(見取図)のようなものであつたこと、つまり、右撮影当時、地上に立つて現存していた柱は、第二ないし第四の三本の柱であつたこと、第二の柱の地上から約1.2メートルと約0.8メートルの各位置にそれぞれロープが結び付けてあり、その上段のロープの他方の先端が原告運転の自動二輪車の転倒していた方向に転がつている折れた柱に結着してあり、下段のロープは中途で切れていて、右の折れた柱に右の切れたロープの他方の先端が結着してあつたこと、その各ロープの第二の柱から右の折れた柱までの長さは、具体的数値をもつて確定することはできないものの、これを北方に直線的に伸延すれば、おおよそ同図面上の第一の工事用防護柵の北端付近に達するであろうこと、第二ないし第四の柱への右ロープの結着方法は、ロープを柱に巻きつけて固定する方法によつていること、右各写真上には、ロープが結着されていて、かつ、地上に倒れている柱は、前記の折れた柱のほかにはないことがそれぞれ認められる。そして、右写真上には、第一の工事用防護柵の東側に別紙図面四のように柱が横たわつているのがみえるが、これが被告主張の第五の柱であることを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、右認定のとおり、ロープの第二ないし第四の柱への結着方法がロープを柱に巻きつけて固定する方法によつていること、右の横たわつている柱には、ロープは結着されていないし、また、その長さも第二の柱の地表高より大分長い上、両端とも整形で折れた状態にあるとは見えないことなどから考えて、少なくとも本件事故当時地上に立てられてあつたものではないと認めるのが相当であり、前掲甲第一号証の一一(新倉勝利の司法警察員に対する供述調書)によると、本件障害物を構成する柱を立てた際、古材等も地表に置いたことが認められるから、右の横たわつている柱は、当初から地表に置かれていたものにあたると解することができる。そして、前掲甲第一号証の四(高橋武雄立会による実況見分調書)における同人の指示説明上も、二本の柱の間に二段にロープが張られてあつた状況が示されており、更に、証人伊藤浩がその証言の際、柱にロープが張つてあつた様子を図示した図面上の記載も右と同様であつて、これらの点も、前記の認定に沿うものといえる。

なお、原告本人は柱の数が三本であつた旨供述するが、右認定の柱の位置関係からみて、第四の柱の存在が原告の記憶に明らかでないとしても不自然とはいえず、後記認定のような本件事故の遭遇状況に鑑みると、右供述部分は採用しえない。

(2) 工事用防護柵の数及び位置について

新倉勝利は、捜査機関による取調の際も(甲第一号証の一一)、当審における証言の際も、終始、工事用防護柵は本件事故当時五個であつたと供述し、また、これに対して、証人伊藤浩及び原告本人は、ロープの張つてあつた二本の柱の間には、工事用防護柵はなかつたとするが、これらはいずれも採用することができない。

すなわち、まず、新倉供述について考えると、前掲甲第一号証の一一によれば、工事用防護柵を本件現場に置いたのは、本件街路の砂利敷工事を終了した昭和五三年二月九日以降のことである、その後、本件事故までの間に毀されたりしたものもあつた、本件事故から二、三日後に同種事故再発防止のため、工事用防護柵の数を何個か増やしたというのであるが、昭和五四年七月五日撮影の現場写真(甲第二号証の二ないし六及び八ないし一〇)、同年七月七日撮影の現場写真(乙第一号証)及び同年八月二九日実施の実況見分調書(甲第一号証の六)によれば、本件障害物を構成する工事用防護柵の数が、それぞれその当時、四個であつたことが明らかであり、また、前掲甲第一号証の一二(高橋武雄の司法警察員に対する供述調書)によつても、本件事故後、工事用防護柵の数を増やしていつたこともあるというのであるから、これらの事実を併せ考えれば、本件事故当時、本件障害物を構成する工事用防護柵の数が四個より多かつた(逆に言えば、本件事故後に数が減つて四個になつた)と解することには無理があり、そして、何より本件事故直後の状況を記録したものとみるべき前掲甲第一号証の四によれば、工事用防護柵は本件障害物を構成するものとしては四個しか認められないのであるから、これを五個であつたとする新倉供述は採用することができない。

次に、第一の柱と第二の柱の間には工事用防護柵がなかつたとする伊藤証言及び原告本人供述について考えると、伊藤証言によれば、同人は本件事故に遭遇する直前、原告運転の自動二輪車に、左手を原告の腰に右手を後部座席の後ろの荷台にあてがつて乗車していたというのであり、そうしてみると、同人の視野は原告の右側から進路右前方を中心に開けていたものと考えられるから、進路左前方方向には死角となつていた部分もあり、また、少なくとも注意が十分でなかつた可能性が高い。同証言それ自体の中でも、右方の障害物の状況は具体的記憶として述べているが、左方の障害物の状況についてはその形状は分からないというのであり、したがつて、第一の柱と第二の柱との間には工事用防護柵はなかつたとの供述部分には、これを信用するに足りる十分な根拠がない。また、原告本人の供述中には、第一の柱と第二の柱の間には工事用防護柵はなく、第一の柱より更に北方にはこれがあつたかも知れず、第二の柱と第三の柱の間にもあつたかも知れず、第三の柱より南方の本件県道部分との境の付近には、二、三個あつたように思う、更に、第一の柱と第二の柱との間の角材、土のうなどは本件事故当時は存在しなかつたとの供述部分があるが、後記認定のとおり、原告は、前方注視を怠り本件障害物の形状等をよく認識しないまま、時速約四〇キロメートルの速度でこれに突入して重傷を負つたのであるから、本件事故当時の本件障害物の形状及び位置に関する同人の供述に重きを置くことはできない。

したがつて、この点についても、工事用防護柵の数及び位置が前掲甲第一号証の四添付の各写真のような状況と異なつていたことを積極的に認めるに足りる証拠はないから、前示のように原状の変更、構成物の移動を窺わせる特段の事情のない本件においては、右甲第一号証の四に表われた状況は、本件事故直後の状態とほぼ同一であると推認すべきである。

なお、右甲第一号証の四の添付写真、とりわけ③、④の写真に基づいて第一の工事用防護柵と第二の柱との間隔を計測、推認すると、それは、約1.5メートル程度であつたものと認められる。

3  原告の本件障害物との衝突の状況

右認定の事実に〈証拠〉を総合すると、原告が本件障害物に衝突した状況は、次のとおりであつたと認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

すなわち、原告は、昭和五四年六月二三日早朝、自動二輪車(ホンダCB四〇〇T、三九〇CC)に友人である伊藤浩を同乗させて運転し、草加駅からアルバイト先である読売新聞伊草販売店に帰る途中、本件県道を通り、県道八潮・越谷線との交差点を経て本件県道の前方を進行するライトバンを追走するうち、本件県道部分に差し掛かると、右ライトバンが対向車線を進行してきたトラックとのすれちがいのため制動しつつ道路左方へ寄つたことから、帰途を急いだ原告は、一旦前者の制動に従つて自車を時速約二〇キロメートルに減速したものの、前車の側方を通つてこれを追い越すことのできる余地がなかつたため、近道をしようとして、本件障害物の手前約二〇メートルの地点で左転把して本件街路に進入し、おりから、ほぼ正面に昇りつつある太陽があつて、その光に幻惑され、本件障害物を構成する上下二段のロープの存在に気付かないまま、加速しつつ、第一の柱と第二の柱の間に向かつて直進し、時速約四〇キロメートルに達した本件障害物の手前約一〇メートルに至つてようやく右ロープの存在に気付き、直ちに急制動の措置をとつたが間に合わず、そのまま自動二輪車に乗車した状態で第一の工事用防護柵と第二の柱の間に突入して自車ごと右ロープに衝突し、上段のロープに前頸部をひつかけて転倒し、気管裂創の傷害を負つた。

二営造物としての設置・管理の瑕疵の存否

1  請求原因二1(一)の事実は、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、本件障害物は本件街路の通行制限のための手段として被告により設置され、管理されていたものと認められ、これらの事実によれば、本件街路は、本件障害物を含めて一体として、被告が設置し、かつ管理する公の営造物にあたるものということができる。

2  ところで、本件街路は、前記のとおり、供用開始前の建設中の道路であつた。一般に供用開始前の道路については、法律上の概念としては厳密な意味では「道路」とは呼べず、言うなれば「道路予定地」とでも呼称すべきであろうが、国家賠償法二条一項にいう「公の営造物の設置又は管理の瑕疵」の存否の判断に際しては、法律上道路として供用開始されたか否かはそれ自体が決定的な意味をもつものとはいえない。当該「道路予定地」が通常有すべき安全性の程度について考える際、供用開始前であるとの一事をもつて直ちに公の用に供されている道路とまつたく異なつた基準が一律に妥当すると解することは許されず、当該「道路予定地」の道路とする目的・性質・形状・外観、既存道路との関係及び実際上の利用状況等の具体的事情に照らして個別的に判断すべきものというべきである。

これを本件についてみるに、前掲各証拠によれば、本件街路は、その形状・外観は、砂利敷の道路としてはほぼ完成した状態にあり、本件障害物の西方の側溝はいまだ工事中であるけれども、その東方はこれも完了した状態にあつて、それ自体としては、一部改修工事中の道路と区別がつかない程度に達しており、ただ、既存の本件県道との位置関係等により、進路を直線化するなどのための付替道路であることを推知しうるにすぎないこと、そして、本件県道を草加市方面から八潮市方面に向かつて東進する場合、本件県道部分は舗装道路であり、その手前も舗装されている(本件県道の県道八潮・越谷線との交差点から本件県道部分に至るまでの間も前示区画街路一一号線の一部であつて、これは本件事故以前に既に舗装された状態で供用されていた。)ことから、将来本件街路も舗装されるであろうことが予期されえたとしても、区画街路七八号線から同八〇号線までの約八〇メートルの間には、既存の本件県道部分との境に電線の張られていない三本の電柱(そのうち少なくとも一本は、本件事故後間もなく撤去されたことが、〈証拠〉によつて明らかである。)が立つていたにすぎないこと、本件街路のうち、本件障害物から西方の部分は、既に供用開始されている区画街路七八号線との交差点付近はもとより、いまだ供用開始されていない同八〇号線との交差点付近までも含めて、歩行者・自転車のみならず各種車両が自由に通行しうる形態になつており、かつ、現に通行していたこと、また、本件障害物から東方の部分についても、東端部出入口は、数個の工事用防護柵等によつて一部封鎖されていたが、車両を含めて通行に障害となるような措置はとられておらず、本件障害物付近でも区画街路八〇号線との関係で本件障害物を避けて通行する車両があつたこと、被告が本件街路に本件障害物を設置した趣旨は、本件街路のうち本件障害物の東方部分は、歩行者及び自転車による通行は認めるが、車両による通行は原則として禁ずるというものであり、そのような制限措置にとどめ全面的な通行禁止措置をとらなかつた理由は、本件県道部分の幅員が狭いので歩行者等には本件街路の通行を許した方がその保護に資すると考え、また、もしこの部分を全面的に通行禁止にすると、この部分に面した所に居住する住民の通行を妨げて不都合を生ずることなどにあつたこと、他方、本件街路に障害物を設置することなく車両一般による通行を許すことはしなかつた理由は、これ無制限に許すと、東西の各進入口における本件県道部分との合流点において交通上の危険を生ずるおそれがあり、これを回避するにはそれぞれ交通整理を必要とするなどの点にあつたこと、前記のような本件街路の通行状況に加えて、本件障害物を構成する工事用防護柵が可動性のものであることから、本件障害物の間を通過するものもあつたこと、このため、工事用防護柵が倒れたり毀されたりしたこともあり、本件障害物の具体的形状は、時によつて異なつていたこと、それにもかかわらず、被告は、本件障害物を可動性のない形状に変更することなく、実際上、右のような利用状況を黙認していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、右のように本件街路の状況が、外観上、一部改修工事中の道路と区別しえない程度のものであつたことは、前掲甲第一号証の四、八、九の各捜査関係書類上に記された警察官の認識の上にもよく表われており、かなり注意深い観察者によつても道路と認識されるものであつたことが窺われるのである。

そもそも、道路というものは、一般公衆の通行の用に供され、不特定多数の者の利用を予定するのが通常であるから、そこを初めて通行する者にとつても、通常の注意力さえ働かせれば、これを安全に利用することのできる性状を備えることが要求されるのであつて、これに何らかの危険等が存する場合の注意・警告の方法も、付近住民でその場の状況を日頃見聞しているとか、優れた注意力・判断力をもつているなどの特別の事情によつて、一部の者が知りうるにすぎない程度のものでは不十分であるといわなければならないのである。道路として供用開始されるに至つていない場合においても、それが、本件街路のように、外観上道路としての形態を十分に備えるに至り、既存道路と併行し、かつ、両端においてこれに接続していて、公衆において事実上道路として通行することがありうべき状態に至つた場合には、その通行を予想し、その場に初めて臨んだ通行者(車両の運転者を含む。)においても、通常の注意力を有する限り即時に理解しうるように、明確かつ安全な通行禁止の措置をしておかない限り、その安全性を確保したことにはならないものというべきである。ことに本件においては、前記のとおり本件街路の南側に一部これと接して併行する本件県道が存在し、しかも、本件県道の制限速度は時速四〇キロメートルであつたのであるから、かかる県道を通常の速度で進行する車両の運転者に対する関係を十分念頭において本件街路の安全性の確保を図るべきものであつたといわなければならない。

しかるに、本件街路の本件県道からの進入口両端部及びその付近に、本件街路が供用開始前のものであり、その管理者である被告において、その一般車両の通行を制限していることを明確に表示する特別の標識・標示が設置されていなかつたことは当事者間に争いがなく、前示のような本件県道・本件街路・本件障害物の状況に鑑みると、本件障害物の存在及び本件街路と本件県道部分の境に立つていた三本の電柱の存在等によつて、本件街路が供用開始されるに至つていないことが明白に了知うる状態であつたとは到底いえないし、本件障害物設置の前示のような趣旨・目的を明示し、これに近付く運転者に対して、その直近においてではなく、車両等が安全に停止できる程度の距離をおいてその前方から本件障害物の存在に気付くように注意を喚起する方策もとられていなかつたことが明らかである。

そして、前示認定の本件障害物の形状、本件街路の状況に基づいて、本件障害物の危険性について考えると、原告が突入した部分には、第一の柱と第二の柱の間に上下二段のロープが張られてあつて、その左右にはそれぞれ工事用防護柵が置かれてあつたが、第一の工事用防護柵と第二の柱の間約1.5メートルはロープのみの空間となつており、西方からこれに接近するときは、背景が砂利敷となることもあつてロープの存在に気づきにくい状態にあり、しかも、太陽光線の状況いかんによつてはなおさらロープを識別しにくい状態にあつたことが推認でき、右の空間部分のロープの存在に気付かないままこれに向かつて進行する可能性が十分にあつたというべきであつて、このような事情は本件街路の管理者である被告においても知りうべきであつたといわなければならないから、本件障害物、就中右ロープの形態は、通行制限のための障害物の形態として通常有すべき安全性を欠いていたものというべきであり、被告が本件障害物を設置した目的が前記認定のような通行制限にあり、そのような通行制限は交通の安全、危険の予防を考えてのものであつたことを思えば、被告のとつた前記の予防策が中途半端なものにとどまつたため、かえつて大事を招いたものと考えられる。

3  以上の次第であるから、本件事故は、原告が本件障害物を含む本件街路の設置又は管理の瑕疵によつて、これを構成するロープの存在に気付かないまま進行したために発生したものであるといわなければならず、したがつて、被告は、国家賠償法二条一項に基づき原告に生じた本件事故による損害を賠償すべき責任を負うべきものである。

三原告の損害

1  原告の受傷内容、程度と治療の経過

〈証拠〉によれば、原告の受傷内容、程度と治療の経過は請求原因三1のとおりであつたことが認められる。

2  原告の後遺障害の程度

〈証拠〉によれば、原告は、時折前頸部から前胸部にかけて気道狭窄に由来するとみられる皮下気腫の発生や気道狭窄による換気量の低下等からくる呼吸障害、両声帯動き不良の後遺障害があり、その程度は自動車損害賠償保障法施行令別表の第一一級に該当し、前記1の治療の経過中で生じた耳介の変形により同第一二級に相当する後遺障害があるので、結局、原告の後遺障害の程度は同第一〇級に相当することが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  具体的損害額の内訳

(一)  治療費

〈証拠〉によれば、原告は、前記広瀬病院に対し金一万七四八〇円、前記順天堂医院に対し金六九四万二七六五円の合計金六九六万〇二四五円の治療費の支払を要したことが認められ、右事実によれば、右金員は本件事故により原告に生じた損害ということができる。

(二)  休業損害

官署作成部分につき成立に争いがなく、その余の部分につき〈証拠〉によれば、原告が本件事故によつて休業を余儀なくされたために生じた損害は金一五一万二五一〇円であることが認められる。

(三)  差額べッド料

〈証拠〉によれば、原告は本件事故による受傷の治療のため前記順天堂医院に入院した際、差額ベッド料として、第一回入院分につき金一六四万一七〇〇円、第二回入院分につき金七一万四四〇〇円、第三回入院分につき金四八万五六〇〇円支払を要したことが認められ、〈証拠〉によれば、右金員の合計二八四万一七〇〇円の支出は本件事故により原告に生じた損害ということができる。

(四)  入院保証金

〈証拠〉によれば、原告は、前記順天堂医院に入院した際に支払つた保証金を差額ベッド料が支払えなかつたために没収されたことが認められ、〈証拠〉によれば右金員は本件事故により原告に生じた損害ということができる。

(五)  胸パット代

〈証拠〉によれば、原告は本件事故による受傷の治療のため行われた手術後の状態の保護のため胸パットを使用し、その代金として金二万円を株式会社武内義肢製作所に支払つたことが認められ、〈証拠〉によれば右金員の支出は、本件事故により原告に生じた損害ということができる。

(六)  逸失利益

〈証拠〉によれば、原告は昭和五七年五月から就労を開始し、請求原因三3(一)、(二)のとおりの収入を得たことが認められる。

そして、右認定の事実及び前記認定の治療の経過に〈証拠〉を総合すると、原告は、昭和五七年三月には前記後遺障害の症状も一応固定し、就労可能となつたものと認められ、また、前掲各証拠によれば、原告は、昭和三六年九月一四日生まれで本件事故当時一七歳であつて、埼玉県八潮高等学校に在学していたことが認められる。

そこで考えるに、原告の本件後遺障害による逸失利益の算定方法としては、昭和五七年度の賃金構造基本統計調査報告(いわゆる賃金センサス)による統計値を用い、かつ、後遺障害による得べかりし利益の喪失率につき前記認定の自動車損害賠償保障法施行令別表の等級に基づいて判断するのが、最も客観的かつ公平妥当なものと解される。

右賃金センサスによれば、産業計、企業規模計、男子労働者、旧中・新高卒の平均年収は金三六六万五二〇〇円であるところ、原告は、本件事故により前記後遺障害を負わなければ、昭和五七年から四七年間右収入を得ることができたものと認められ、また、原告の前記のような本件後遺障害の程度に照らすと、その労働能力喪失率は二七パーセントと認めることができるから、中間利息の控除につきライプニッツ式計算法を用いて原告の逸失利益の現価額を算定すると、金三六六万五二〇〇円に前記労働能力喪失率0.27及びライプニッツ係数17.9810を各乗じた金一七七九万四〇六九円が本件後遺障害による逸失利益となる。

なお、前記認定の原告の収入額を当該年度の企業規模計、旧中・新高卒の全産業男子労働者該当年令の者の平均収入と対比してみると、原告の収入は右平均収入より約一〇ないし一五パーセント前後少ないにとどまることが認められるが、右事実は、原告の労働能力喪失率に関する前記判断を覆すに足りない。

(七)  受傷・卒業延期・入院手術等による精神的苦痛に対する慰謝料

前記認定の本件事故による受傷の程度・態様、治療の経過に〈証拠〉を総合すれば、原告は、合計一五か月間以上入院加療を受け、その間、多数回にわたる危険かつ困難な手術を繰り返し、そのため前記高等学校卒業も一年遅れ、退院後も通院を続けたことが認められ、これらによつて多大な精神的苦痛を被つたものと推認されるから、この点の慰謝料としては、金二五〇万円が相当である。

(八)  後遺障害慰謝料

原告の後遺障害の態様・程度に〈証拠〉を総合すると、原告の後遺障害は、それ自体としては一応症状が固定しているものの、将来に向かつての不安を残していることが認められ、このような事情をも斟酌すると、この点の慰謝料としては、金四〇〇万円が相当である。

4  具体的損害額の合計

(一)  第一回入院分の差額ベッド料についての消滅時効

前記認定の差額ベッド料のうち、第一回入院分にあたる金一六四万一七〇〇円については、〈証拠〉によれば、昭和五四年一二月二九日までの間にそれぞれ具体的金額が確定して支払われた(支払時期については当事者間に争いがない。)ものと認められる。原告は、右差額ベッド料が本訴提起時において訴訟物となつていなかつたことを自認しつつも、なお、訴状中の記載内容に照らし「裁判上の催告」として右差額ベッド料についての消滅時効が本訴係属中中断される旨主張するけれども、本件訴状中「差額ベッド料」に言及する部分は、慰謝料請求の原因事実としての精神的苦痛の説明として、差額ベッド料その他の経費などにつき両親に物的精神的負担を負わしめていることについての精神的苦痛も甚大である旨述べているにすぎず、原告の再抗弁は採用することができない。したがつて、本件損害賠償請求権のうち右の部分は、遅くとも昭和五四年一二月二九日から三年を経過した時点において時効により消滅したものといわなければならず、右時効の援用は当裁判所に顕著であるから、この部分は被告に対し請求しえないものと解される。

(二)  損害の填補

原告が、労災保険法による療養補償給付として前記治療費と同額の、休業補償給付として前記休業損害と同額の、また休業特別支給金として金五〇万四一七〇円の各給付を受けたことは当事者間に争いがない。したがつて、右療養補償給付及び休業補償給付合計額八四七万二七五五円は前記損害額から控除されなければならない。

被告は、原告が受領した労災保険給付額は過失相殺後の損害額から控除されるべきである旨主張する(いわゆる控除前過失相殺説)ので付言するに、労災保険の制度趣旨は、労働者が人たるに値する生活を営むための災害補償につき迅速かつ公正な保護を図るところにあり、その意味で社会保障的性格を有しているものというべきところ、労災保険法一二条の二の二は、右の制度趣旨を反映して故意の犯罪行為や重大な過失に基づく場合を除いて、一般には過失相殺的減額を行わないこととしている。したがつて、控除前過失相殺説を採用すると、加害者だけが利益を受け、労災保険においては重過失を除いて過失相殺的減額を受けないという被害者の利益が害されるおそれがあり、災害補償の迅速かつ公正な保護が図られないことになる。一般の損害保険給付において控除前過失相殺説が採用される理論的根拠は、いわゆる保険者の代位(商法六六二条参照)により、保険給付があると過失相殺後の損害賠償請求権が保険者に法定的に移転する結果、被害者の加害者に対する右賠償請求権がその部分減縮するとするいわゆる代位の法理に求めることができるが、労災保険に関しては、第一に、使用者による災害の場合には、使用者は労災保険関係の当事者であるから、労災保険給付が支払われても政府が被害者に代位することがないのは当然であるし、第二に、代位の法理によると、保険者において給付をした場合には、被害者の有する加害者に対する損害賠償請求権という一個の金額債権が代位により右給付額の限度で一括して移転するはずであるが、労災保険給付は、損害賠償請求における損害の費目に相当する各種の保険給付(たとえば、療養補償給付、休業補償給付など)が独立性を有しており、そのため、たとえば療養補償給付がなされたが、実際の治療費はこれより少ないという場合に、民事損害賠償請求訴訟の中で、その差額をたとえば逸失利益のような性質の異なる損害費目をも加えた他の損害から控除することは許されないものと解すべきであつて(最三判昭和五八年四月一九日民集三七巻三号三二一頁参照)、昭和五五年法律第一〇四号によつて新設された同法六七条(労災給付と民事賠償との調整規定)の「同一の事由」というのも、単に事故の同一性を意味するものではなく、填補内容の性質上の同一性をも含む概念と解されるから、このような点は代位の法理による理解には親しまず、むしろ、損害それ自体が同一性質の内容を有する保険給付がなされることによつて減縮し、差し引かれるものと理解するのに適している。

そして、労災保険の各種給付がそれぞれ独立の性質を有することに鑑れば、これを相互に流用する結果を招来する控除前過失相殺説は著しく不当であり、また、前記の労災保険の制度趣旨にも反することが明らかである。

なお、叙上の見解によれば、休業特別支給金がいわゆる休業損害と同一の性質のものとしてこれから控除されるべきものであるかどうかの問題は措き、本件において原告の主張する損害費目のうちには、直接これを控除すべき対象は存在しないから、原告が給付を受けた休業特別支給金は、本件損害額から控除しえないものというべきである。

(三)  過失相殺

前記認定のとおり、原告は、本件障害物を構成する第一の柱と第二の柱の間に張られた上下二段のロープの存在に気付くのが遅れ、これに衝突して受傷したものであるが、原告が通過しようとした第一の工事用防護柵と第二の柱との間隔は約1.5メートルで、進行方向右方は自動二輪車によつては通過しえないことが明らかであつたし、左方にも第一の工事用防護柵があつたのであるから、その中間部分を通行するに際しては、相当程度減速した上、前方を注視して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたというべく、ことに〈証拠〉によれば、原告は、本件県道を以前にも通行したことがあつたものと認められるから、本件障害物を含む本件街路の危険性につき考慮に入れて通行すべきであつたとみるのが相当である。しかるに、原告は、帰途を急ぐ余り前方注視不十分のまま時速約四〇キロメートルの速度で第一の工事用防護柵と第二の柱の間を通過しようとして本件事故を招来したものであるから、右過失を斟酌すると、被告は原告に生じた損害のうち二五パーセントにあたる金員を賠償する責任があるものと解するのが相当である。

(四)  以上によれば、原告に生じた前記損害の合計は、差額ベッド料一二〇万円、入院保証金一三万円、胸パット代二万円、逸失利益一七七九万四〇六九円、慰謝料合計金六五〇万円を加算した金二五六四万四〇六九円に0.25を乗じた六四一万一〇一七円となる。

(五)  そして、本件事案の内容、審理経過等に照らし、原告が被告に対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用相当額は、前記合計金額の一二パーセントと認めるのが相当である。

四結論

よつて、被告は、原告に対し、金七一八万〇三三九円及びこれに対する本件事故の日である昭和五四年六月二三日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告の被告に対する本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官下村幸雄 裁判官河野信夫 裁判官松本光一郎)

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